毎日テレビを付ければ流れてくる、悲惨な交通事故のニュース。
高齢ドライバーの踏み間違い、スマートフォンのながら運転、そして何より胸が張り裂けそうになる、通学路の子供たちの列に車が突っ込む惨劇。
そうした映像を見るたびに、胸が締め付けられるような嫌な思いになり、同時に強い怒りと疑問が湧き上がってきます。
「あの惨状を毎日毎日報道して、一体何の意味があるのか?」
まさか視聴率を稼ぐためでも、ただ国民にショックを与えるためでもないはずです。
本来、あのニュースが真っ先に届くべき相手は「国や行政」でしょう。「これだけ人間による事故で命が失われている。だから一刻も早く、もっと安全性の高い社会システムを作れ」という、突きつけられた現場からの警告メッセージのはずです。
◆ 過去の「280馬力規制」が暴いた本質/strong>
ここで思い出してほしい歴史があります。かつて日本の自動車界にあった「280馬力自主規制」です。
当時は「馬力を上げると危険だ、事故が増える」という、行政や人間の理屈とイメージだけでルールが作られました。
しかし2004年にその規制が撤廃された際、データが証明したのは「車の馬力と事故率には何の関係もなかった」という拍子抜けするような事実でした。事故の本当の原因は、出力の高さではなく、ドライバー自身の不注意や判断ミス、脇見運転といった「人間の側」にあったのです。
事故の原因は人間にある。その事実が分かっていながら、規制を解除するまでにどれほど無駄な年月を費やしたでしょうか。
事故を起こす「人間」と、AIを恐れる「本末転倒」
そして今、まさに同じ過ちが繰り返されようとしています。
テスラのFSD(Full Self-Driving)をはじめとする最新の自動運転技術。360度を一瞬の隙もなく見張り続ける高精度カメラとAI脳は、スマホを見ることも、脇見をすることもなく、疲れることもありません。膨大なデータを学習し続けるコンピューターは、高齢ドライバーはもちろん、人間の平均的な判断力をすでに遙かに上回るレベルに達しています。
機械はすでに「人間以上の精度で命を守る準備」ができているのです。
それなのに、世間や行政は「AIの進歩が早すぎて怖い」「機械に任せて本当に安全なのか」と、またしても人間の思い込みでブレーキをかけようとしています。
毎日、人間の不注意で悲惨な事故が起き、命が失われている現実を放置しておきながら、それを防ぐためのAIの進化を恐れて慎重論を重ねる。これほど本末転倒な話があるでしょうか。
◆ 「人間がブレーキ」をかけている場合ではない
近年、国は防災や自然災害対策のための省庁を新設するなど、災害から命を守る動きを強めています。それ自体は素晴らしいことです。ならば、昔から「交通戦争」と呼ばれ、日々確実に人の命が奪われ続けている道路上のリスクに対しても、同じスピード感で動くべきです。
行政や国は、毎日のニュースをただの「悲しい出来事」として眺めている場合ではありません。痛ましい事故の情報を受け止め、「だからこそ一刻も早く、AIをはじめとする最高峰の安全技術を公道へ解放しなければならない」と、行政自らがスピード感を持って舵を切るべきなのです。
「AIが怖い」のではない。「技術があるのに、人間の判断の遅さのせいで防げたはずの事故が防げないこと」の方が、よほど恐ろしいのです。
◆命を守る技術を、1日でも早く
我が社が携わる家づくりの現場でも全く同じですが、災害や危険から「ご家族の命を守る構造や技術」があるなら、私たちは迷わずいち早く現場に採用します。命以上に優先されるルールや慣習など存在しないからです。
車社会も、まったく同じはずです。
「もういい加減にしろ」と言いたい。
嫌なニュースに心を痛めるだけの毎日は終わりにしましょう。国や行政は一刻も早く目を覚まし、テクノロジーの力で地域と子供たちの命を守る時代へ、一歩先へ進める決断を強く求めます。









