「南無妙法蓮華経」の誤解を解きたい。住宅屋がこの言葉に教わった、本当に強い家族のカタチ。

いらっしゃいませ!

いつもご覧いただきまして有難うございます。

今回は、「なんだこの話題・・・キモイ」という内容でお届けいたします。

では、どうぞ~

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突然ですが、みなさんは「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」という言葉に、どんなイメージをお持ちでしょうか?

「どこかの宗教の呪文?」「お葬式や、お堅い儀式の言葉?」

おそらく、多くの方がそうした「特定の宗教団体のもの」というイメージを持たれると思います。

実は、家づくりという、一見すると宗教とは無縁の仕事をしている私も、昔はそう思っていました。

私は、変な宗教に凝り固まっているわけでは、全くありません。むしろ、そういった組織の枠組みには、少し違和感を覚える人間です。しかし、ある時、この言葉が本来持つ「意味の深さ」を知った時、私は一人の住宅のプロとして、そして一人の人間として、体に電流が走るような衝撃と、深い感動を覚えたのです。

それは、特定の宗派を信じるかどうかの話ではありません。この言葉には、混沌とした現代を生きる私たちが、「どうすれば家族と共に、力強く、幸せに生きていけるか」の究極のヒントが隠されていたのです。

今日は、住宅屋の視点から、この言葉の誤解を解き、その素晴らしい哲学を皆さんと共有したいと思います。

「泥の中のハス」が教えてくれる、ブレない生き方
この言葉の核心は、実は非常にシンプルで、美しい比喩(たとえ)にあります。

それは、「ハスの花(蓮華)」です。

冒頭の写真をご覧ください。ハスは、濁った泥沼という、決してお世辞にも綺麗とは言えない環境に根を張ります。しかし、その泥に決して染まることなく、水面に顔を出した時には、驚くほど清らかで、美しい大輪の花を咲かせます。

この姿こそが、この言葉が伝えたい「人生の真理」なのです。

「妙法蓮華経」という言葉を、私なりに現代の言葉に翻訳すると、こうなります。

「世の中(現実社会)は、時には泥沼のように厳しく、不安で、汚れた場所かもしれない。しかし、人間は誰もが、その泥に負けずに、自分自身の命を清らかに、力強く輝かせる(大輪の花を咲かせられる)とてつもない可能性を持っている」

そして、頭につく「南無」とは、サンスクリット語で「心から信じて身をまかせる」という意味です。これを現代風に言えば、「私は、その自分の可能性を信じて、ブレずに生きていく!」という強い決意表明です。

つまり、「南無妙法蓮華経」とは、呪文などではなく、

「どんなに厳しい時代であっても、私は私らしく、清らかに強く生き抜いてみせる!」

という、最高にポジティブで、主体的な【人生の宣言】の言葉だったのです。

なぜ、今マナホームがこの奥の深い言葉を取り上げたのか

今、私たちは、物価の高騰、疫病の流行、そして他国での戦争の影など、まさに「泥沼」のような、先の見えない不安な時代を生きています。

そんな時代に、私たちがお客様に提供している「家」とは、一体何なのでしょうか。
単に雨風をしのぐための、木とコンクリートの「箱」ではありません。

私は、家とは、「家族という大輪のハスの花を、泥沼から守り、育むための『聖域(清らかな水と土壌)』」でなければならないと考えています。

外の世界でどんなに泥にまみれ、傷つき、疲れて帰ってきたとしても、玄関をくぐれば、そこには安心できる家族の笑顔があり、心からリラックスできる空間がある。そこでエネルギーを充電し、また明日、泥の中へ力強く出ていける。

「外の泥には染まらない。ここは、自分たちが一番自分たちらしく、清らかに居られる場所だから」

お客様が、新しい家でそのような「ブレない軸」を持って、家族の幸せを咲かせていく。その土台を作るお手伝いをすることこそが、住宅屋マナホームとしての使命であり、誇りです。

最後に

「南無妙法蓮華経」という言葉は、特定の団体のものではありません。古い日本人が、混沌とした時代を生き抜くために残してくれた、全人類的な「生き方の知恵」です。

もし、今の時代に不安を感じたり、自分らしく生きることに迷ったりした時は、この「泥の中のハス」の姿を思い出してみてください。特定の宗教に属していなくても、その精神は誰でも心に抱くことができます。

そして、私たちマナホームは、これからも、皆さんの「家族の幸せ」という美しい花が、どんな環境でも決して枯れずに、咲き誇り続けるような家づくりを続けてまいります。

今日も、皆さんのご家庭に、美しい花が咲きますように。


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