
先日、ふとお参りをしていた時に、源頼朝や徳川家康のことに思いを馳せました。
私が生まれ育った静岡の伊東もそうですが、いま私が拠点にしている千葉県もまた、頼朝にとっては敗走の末に辿り着いた「決死の再起の地」です。
で、ふと考えたわけです。
車も電車も、電話もネットもない時代に、彼らは一体どれだけの距離を動き、どうやって正確な連絡を取り合っていたのかと。
調べてみれば、街道には24時間体制で馬と人間が常駐し、命がけで泥にまみれて「生の事実」をリレーしていた。一文字の嘘や遅れが、即「全滅」を意味する時代です。泥臭いけれど、そこには誤魔化しのない「本物の誠実さ」と「覚悟」がありました。
翻って、今の世の中はどうですか。
スマホ一つで世界中と繋がる「情報化社会」なんて言われながら、私たちの耳に入ってくるのは、どこかピントのズレた、薄っぺらな情報ばかりです。
海外資本が日本の土地や企業を買い叩き、目に見えないところで恐ろしい勢いで国が切り売りされているのに、その一番肝心で恐ろしい情報は、国民の隅々まで一切伝わってこない。日本に住んでいながら、日本の本当の姿が一番わからないように「隠されている」んです。
なぜこんなにおかしいことが起きるのか?
理由は至極シンプルです。「正解を教えると、自分が損するから」です。
100%正確な情報を全員に渡してしまったら、全員が次にどう行動すべきか分かってしまう。全員が正解の舵取りをしたら、一部の人間だけが得を競う「資本主義のゲーム」が成り立たなくなるわけです。
だから、「お前たちばかりに得をさせるわけにはいかない」とばかりに情報を伏せ、大衆の目を逸らし、次の正しい行動を起こさせないように邪魔をする。今の「情報社会」なんてのは、裏を返せば「情報を独占して自分だけが儲けるための社会」でしかありません。
道具が何一つなかった時代の先人たちは、命を守り、信頼を繋ぐために「足」で正確な真実を届けた。
最高の道具で溢れかえった現代人は、自分だけが甘い汁を吸うために、平気で真実を覆い隠す。
時代が進んで便利になったどころか、人間としては完全に退化し、腐ってきているんじゃないでしょうか。
画面の向こうから流れてくる、誰かの都合で加工された「死んだ情報」に踊らされている場合じゃありません。
どれほど世の中の仕組みが歪もうと、私は自分の目と耳、そして現場の足を信じる。
情報に騙されず、目の前の人間や土地と誤魔化しのない本音で向き合っていく。
綺麗事のネットニュースを眺める暇があったら、足元にある「生の現実」を見つめ直すべき時代に来ていると感じています。









